【日曜メッセージ】「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」
掲載日:2020.11.08
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。」
(マタイによる福音書11章28節)
今日の聖書の箇所には、次のように言葉が続きます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。・・・中略・・・わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
「軛(くびき)」、あまり聞いたことのない言葉ですね。「首」と「木」です。牛や馬の首のところに木の枠をはめて、その木の枠に馬車や荷車をつないで引かせるのですね。その木の枠のことを軛(くびき)と言います。二頭三頭の牛や馬をその木の枠にはめて、それで馬車や荷車を引かせるというわけです。
イエスは、「わたしの軛(くびき)」と言っています。イエス御自身にこの軛(くびき)、つまり木の枠がはめられているというわけです。そしてあなたの重荷をイエスがその軛(くびき)で一緒に負いましょう、といってくれています。そのイエスの軛(くびき)は軽くて負いやすいからです。
「重荷」なんて言う言葉はあまり使いませんので、ストレスというと少し分かり易いかも知りません。皆さんにとっての重荷、ストレスって何でしょうか。やはり勉強でしょうか。部活の練習という人もいるかもしれませんね。その重荷が時々重すぎて背負いきれなくなりそう、そんなときも多分あるのではないでしょうか。人にはわからない、本人にとってはとても大きな重荷となっていることもあります。中には、この重荷の重さから逃れようと思って「エイッ、忘れてしまえ」、と思っているうちに本当に忘れてしまっている人もきっといるでしょう。でも、忘れることができない重荷であるほど、簡単には逃れることができないのが実際ですね。
今日の聖書は、そんな私たちに「休ませてあげよう」「一緒に負いましょう」と語ります。2000年を超える歴史の中で、同じく語り継がれて、私たちのもとに聖書が今あるのは、真実で信じるに値するものだからなのです。生きていく中では、ときに背負いきれない重荷を背負っていかなければならないことがあります。そんなときにこのイエスの言葉は本当に慰めに満ちた言葉となって、私たちの力になってくれると思っています。
(数学科非常勤講師 牧野 正朗)