【日曜メッセージ】「無駄ではない」
掲載日:2020.11.15
「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」
(フィリピの信徒への手紙2章16節)
自由学園創立者の羽仁もと子さんは「人生の生き方には常に二つの力が働く。それは、やってみよう、と、やってもどうせ無駄の二つの力」と言いました。皆さんはどちらを選んで歩んでいましょうか。
「天才とは1%のひらめきと、99%の努力である。」との名言を残した米国の発明王でクリスチャンのトーマス・エジソンは、「私は失敗したことがない。ただ1万通りの旨く行かない方法を見つけただけ。」と、飄々と語るのであります。元・国連事務次長の新渡戸稲造さんは、友人エジソンのめげない姿に共感、心からの尊敬をもって自分の息子に遠益(とおます)と名付けるほどでした。良い仕事人に共通なのは、無駄に見える事にも喜びを見つけ、誇りをもって行う姿です。部活や授業、掃除も同様に無駄など一つもありません。
マザーテレサの通訳者でシスターの渡辺和子さんは、「この世に雑用という用はない。用を雑にしたときに雑用が生まれるのだ」と言います。無駄だと考えてばかりでは、人生を大きく変えるチャンスも素通りして気付かないかも知れないのです。
フィリピの信徒への手紙の著者パウロの生涯は、一生懸命なのに失敗挫折の繰り返し、苦労の連続でした。しかし、イエス様によって知った神の愛に触れて、「自分の走ってきたこと、労苦したことも無駄ではなかった」と、感謝と喜びをもって語るのです。実はこの手紙は獄中からの手紙。閉ざされた辛い牢獄の中の逆境で、パウロは遥か遠くを見て、「キリストの日に誇ることができるでしょう」と言います。未来のことなのです。まるで苦労して育てる野菜の成長する姿に楽しみを見い出し、やがての豊かな実りを見るかのように語るのです。
この学園の創立者、黒澤酉蔵さんも同じです。田中正造に出会い、黒澤さん自身も弾圧で投獄された中で聖書に触れ、クリスチャンとなり、後にこの酪農学園を創立します。苦労の上に苦労を重ねたこの学園の創立期の歴史を、キリストに突き動かされながら苦労を喜びとし、職員と共に歩んできたのです。その上に今日の酪農学園はあります。
無駄などありません。無駄なことさえ意味あることにする力が聖書の言葉にあることを今日は覚えたいのです。
(福島 義人 日本キリスト教団野幌教会牧師)