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【日曜メッセージ】「究極の選択」

掲載日:2021.01.24

【日曜メッセージ】「究極の選択」

ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

(マタイによる福音書26章75節)

私は山登りが好きで出かけることがあるのですが、ある時、道南の上ノ国町にある「大千軒岳」に登ったことがあります。その登山の途中で、私の目の前に突如現れたのが十字架でした。頂上まであと少しの平坦な場所にその十字架はありました。思いがけない十字架の発見に、その経緯を調べたところ、そこは北海道にいた隠れキリシタンが処刑された場所であることを知りました。その後、毎年行われる追悼ミサの登山に同行させていただいたり、放送部の生徒と取材させていただいたこともありました。この時のエピソードは何度か学校でもご紹介したことがあります。

九州の長崎にも、様々なキリスト教関係の建物やエピソードがあります。その一つが隠れキリシタンに関わる歴史です。代表的なものとして、遠藤周作の『沈黙』という小説に書かれた世界を紹介します。この小説を原作に描かれた映画もあります。少し前に『沈黙-サイレンス-』として再映画化・公開された作品でも知られます。大きく話題になりました。今も人々の心に刺さるものがあります。原作を読んでもらいたいのですが、ここでは要点だけ紹介します。

舞台は長崎。隠れキリシタンの摘発の手法として知られる踏み絵が行われていました。弾圧は厳しく、キリスト教棄教を拒む者は死刑とされた時代に、日本に宣教にやってきた神父が主人公として描かれます。この神父は、師として尊敬していた神父が日本で棄教したと聞いて信じられず、その師を追いかけて、日本にやってきたのでした。キリスト教宣教のためならばどんな苦労も、命すらも惜しまない覚悟で日本にやってきた主人公の神父が体験したことは何だったのでしょうか。彼は捕らえられ、ついに老齢の幕府大目付の前に連れて来られます。大目付は彼に究極の選択を迫ります。「お前が棄教しなければ、あの隠れキリシタンの命が犠牲になる」と。

この作品を通して私達は何を感じるでしょうか。人間の心に目を向け、考えてみてもらいたいと思います。機会があれば原作を読んで、私達の胸に迫る思いを確かめてもらいたいと思います。そして、皆さんが大人になったら、是非長崎を訪問してもらい、歴史上の事実としてこのことを知ってもらいたいと思います。

 (教諭 石橋 紀彦)

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