【日曜メッセージ】「風見鶏」

今日は7/22学校礼拝のメッセージをお届けします。

 

ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

(新約聖書 マタイによる福音書26章75節)

 

江別の元町商店街のシンボルにレンガの塔(その名も恋歌塔とは素敵ですね)の風見鶏があります。実際にはリスなので「風見リス」でしょうか。

函館にあるカトリック元町教会の塔にも大きな風見鶏が風に向きを変え立っています。風見鶏は、教会で用いる場合、人の心に敬虔な悔改め、回心へと導く所との意味が込められます。先程の聖書がその由来なのです。

イエス様の十二弟子のひとりだったペトロは、十字架直前の最後の晩餐でイエス様や他の弟子を前にして、「私だけは決して裏切らない」と啖呵を切りますが、イエス様から「鶏が鳴く前に三度、私を知らないと言う」と指摘されます。実際、主イエスの十字架を前にして、弟子たちは皆逃げ出し、ペトロは遠くから成り行きを見守るだけでした。近くの女性から「あなたもイエスの仲間では」と問われ、思わず三回否定したその時、ペトロは鶏の声を聴き、自分の真実の姿を突き付けられてその場を離れ、泣き崩れるのです。こうして聖霊の風に導かれるようにして、ペトロは本当の回心、悔改めへと導かれます。教会は人の心にそれを起こす所として風見鶏が置かれるのです。

誰かがいじめられているのを見て、知らんぷりする人は大勢います。でも誰もが心の中は穏やかでありません。何とかならないかと自問自答しながら見ているのです。イエス様に付き従う人たちの間で自他共に認める一番弟子の誉れ高きペテロでさえも同様でした。見てくれは強そうでも心は誰もが弱いもの。でも主の弟子としての本当のペトロの歩みは、この時の挫折と回心から始まるのです。

彼はその生涯にわたってイエス・キリストの救い(福音)を伝えましたが、暴君として知られるローマ皇帝ネロの治世下で殉教の死を遂げます。その時、罪だらけの自分がイエス様と同じ十字架刑では申し訳ないと、自ら逆さ十字架を嘆願して天に召されます。このことから逆さ十字架を「ペトロ型十字架」と言います。さて、心が乱れて落ち着かない時に、近くの教会の礼拝に参加してみてください。きっと何かが起こるかも……。

(福島 義人  日本キリスト教団 野幌教会牧師)

PAGE TOP